011−メロン

 記憶違いというのは誰にでもあるものですが、それを長期にわたって記憶違いし続けていた場合は、それが間違いだと気付いてもしばらくは受け入れられないものです。義理のお兄さんは一昨年まで〝菅原文太〟を〝すがわらもんた〟と記憶違いしていましたが、それが間違いだと気付いた今でも「〝ぶんた〟は変だ、〝もんた〟の方がピッタリ来る」と言い続けています。作家のTさんは、〝腹ごしらえ〟と〝腹ごなし〟の区別がついていません。「おなかすきましたね。レストランでとりあえず“腹ごなし”でもしますか」間違いだと言っても未だにピンと来ていないようです。

実は私も中学1年の夏休みの直前までメロンの網目模様は農家のおじさんが、一つ一つ手描きしているものだと思い込んでいました。友達に間違いだと言われてショックを受けたのを覚えています。何故そう思い込んだのかと言うと、小学生の低学年の頃見たテレビの番組が原因です。私の見た番組では確かにメロン農家のおじさんがツルツルのメロンに筆のような物で網目を描いていたのです。私は自分の記憶違いだと言うことを長い間、自分に言い聞かせて来ました。

ところが5年前、R工房のKさんとの雑談の中で、たまたまメロンの話になった時、恥を忍んで自分の記憶違いの話をしたところ、Kさんは平然とこう言ったのです。「そうですよ。メロンはおじさんが一つ一つ手で描くんですよ。私、子どもの頃にテレビで見ましたから」私はその時、無理やり押え付けられていた呪縛から開放された気がしました。その日から私の中では誰が何と言おうとメロンは手描きなのです。少なくとも私とKさんだけは、これからもそう信じて生きていくのです。