003−蛸

 小学校の6年生の頃の話です。2歳下に仲の良い従弟がいて、自転車で佐賀関の海岸に魚釣りに出かけるのが夏休みの楽しみの一つになっていました。

今思えば、良くもまあ自転車で2時間近くもかけて出かけたと思うのですが、当時としてはそんなことは何でもない事だったのでしょう。大志木(おおじゅうき)の砂浜でキスゴやカレイを釣るのですが、釣れようが釣れまいが、どっちでも良かったような気がします。

朝から夜中まで見知らぬ土地で過ごすことで普段と違ったスリルを味わえることが楽しかったのだと思います。その日も日が暮れるまで釣りを楽しんで、そろそろ引き上げようかと相談していた時です。

時間は8時か9時頃だったと思いますが、砂浜の東側の方から「シャー」という音が聞こえてきたのです。その音はだんだん我々の方に近付いて来るのですが、その日は満月で、その音の主を確認するのはそう難しいことではありませんでした。白のランニングシャツにステテコ姿の男が波打ち際をこちらに向かって歩いて来ていたのです。
 
砂浜に立てかけた我々の釣竿の糸の下を「ゴメンのぉ」と言いながら潜り抜けるその右手には長い棒が握られ、その棒の先には〝鎌〟が付いていました。

稲刈りや草刈に使うあの〝カマ〟です。恐らく手製なのでしょうが、しっかりと接続された部分の仕組みが素人のそれではないことは子供の目にも明らかで、その鎌の先端は砂の中に突き刺さっていました。

砂に突き刺したまま歩くものだから「シャー」という音がしていたのです。男はそのまま砂浜の西側に歩いて行ったのですが、後には鎌で切られた砂の線だけが生々しく残り、私たちは何とも言えない恐怖を感じたのです。

恐怖と言うよりは不安と言った方が良いのでしょうか、意味が解からないのです。二人していろんな想像をしてみるのですが、想像すればするほど恐怖心が増していきます。

どちらが言い出すわけでもなく、急いで釣り道具を片付け始めたのですが間に合いませんでした。何と、砂に鎌で線を引きながら男は戻ってきたのです。恐怖に固まった私たちに、男が声をかけてきました。

「帰るんか?」人は恐怖がピークに達すると思いもかけない行動に出るということをその時初めて知りました。

普段は口下手の従弟のSが突然、流暢に、しかもほとんど動揺を男に悟られることなくしゃべり始めたのです。
 
「おいちゃん、何しよんの?砂に線引いてどうするん?」年齢は恐らく60半ばと思われる男は私たちの前で立ち止まり、酒の匂いをプンプンさせながら話し始めました。

「お前たちゃ、関ん子やねえの。知らんのか?おいさんは今、タコを捕りよんのじゃ」わけが解かりませんでした。砂に鎌で線を引く事とタコを捕る事とがどう繋がるのか。私の思考回路はパニックでしたが、従弟のSはいつものSではなかったのです。

「タコって、海の蛸?」もしかしたら男は話したくてしょうがなかったのかも知れません。月明かりの中で男の奇妙な演説が始まったのです。

「おお、八本足のタコじゃ。大潮ん夜は、タコんやたぁ畑に上がっち、大根を取っち食うんじゃ。タコは丘に上がる時に体から〝ネバ〟を出しち道を作る。その〝ネバ〟の道をカマで切っち、タコが海に帰れんごとするんじゃ。今頃は畑ん中でひっくり返っちょん。それを拾うて歩くんじゃ」

そう言いながら左手に持ったズタ袋の中にタコを入れる仕草を繰り返したのですが、それが2回や3回ではない所をみると、かなりの数のタコが陸に上がっているようでした。

俄かに信じられない話でしたが、更に男はタコが大根を土の中から引き抜く方法も話してくれました。
 
「大根の葉っぱん上に乗っち、葉の付け根を咬むんじゃ。ほんで八本の足で伸び上がる、そげえして大根を抜くんど」あまりにもシュール過ぎて私はこの時の出来事を永い間、封印してきたのですが、数年前に偶然テレビのニュースで〝南の島で野菜畑が蛸による被害を受けた〟というのを見たときに、ひょっとしたらあれは本当の事ではなかったのかと考えるようになりました。

当時は今のように立派な道路ではなく、海岸と畑の距離も、その気になれば蛸が移動できない距離ではなかったように思います。

大潮ならばなお更で、今になって思えばもっと詳しく話を聞いておけば良かったと悔やまれてなりません。もしかしたら、大根畑で大根を抜く蛸をこの目で見られたかも知れないのです。


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