331−自転車
その一級河川での釣りにハマっていたのは20代の後半でした。
土手の側に立派なサイクリングロードが完備されたその河川敷には夕方になるとワンちゃんを連れて散歩するご老人やジョギングをする若者で賑わうのですが、一見釣りには適さないように思えるそのポイントでは30センチ程度のチヌ(クロダイ)なら普通に釣れていました。
それほど海に近くはないのですが運が良ければ40センチを超えるチヌも夢ではないのです。
その河川敷で奇妙な体験をしたのは夏の初めの頃でした。
夜の9時を過ぎると河川敷にはほとんど人影はなくなるのですが、その日はサイクリングロードを自転車が行ったり来たりしていました。
近くの橋の街灯や土手の向こう側のマンションの明かりで大体の事は確認出来るのですが、どうも同じ自転車のようなのです。
何往復かした所で結局私の真後ろで止まります。
いつまで経ってもそこを動こうとしない自転車の向こう側でうずくまる人影が気になり、少し怖かったのですが10メートルほど離れたそれに近づいてみるとそれはセーラー服の女子高生で『チェーンが外れて困っている』と言います。
放ってもおけませんから釣りをそっちのけでチェーンの修理に取り掛かるのですが、不思議な事にチェーンは外れてなどいなかったのです。
どういう事かと女子高生の顔を見ると異常なまでの満面の笑みで私を見ています。
その普通ではない状況に恐怖するのですが、次の瞬間その女子高生は笑顔のまま犬や猫のように四つん這いの態勢で土手をすごい勢いで駆け上がり、あっという間に土手の向こう側に見えなくなります。
何が起こったのかわからないまま、とりあえず急いで釣り道具を片付け近くに止めた車に戻る途中にもう一度自転車の方を振り返るのですが、いつ現れたのか、そこにはその自転車を押しながら仕切りに私に会釈をする老人がいたのです。
意味がわからない事ほど得体のしれない恐怖を感じるものです。
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