130−温泉

アーティストのKさんは犬の散歩にかなりの時間をかけます。

自宅から近くの川の土手まで20分、その土手を海に向かって30分、そこで川原に下りて川の中に湧き出る温泉で顔を洗い、そのお湯でうがいをしてから来た道を引き返すというのが日課のようです。

…が、その川は私も良く知っている一級河川なのですが温泉が湧いているなど今まで聞いたことがないのです。

私は釣りをするのでその川のことは昔からよく知っているのですが、Kさんが言うところの場所には温泉などないのです。

しかしKさんは絶対にあると言い張ります。

私もむきになってその温泉があるという正確な位置や場所の形状を詳しく聞いたのですが、その場所でKさんが顔を洗い、うがいをしているというのは事実のようで、Kさんが嘘を言っているようにも思えませんでした。

もしかしたら私が気づいていないだけなのか、最近湧きだしたものかも知れないので実際に自分の目で確認することにしました。

その場所を確認するまでは『もしかしたら』という期待もあったのですが、やはり温泉など湧いてはいませんでした。

念のためにその前後数百メートルを調べてみましたが無駄な努力でした。

ただ、Kさんの言う場所には、し尿処理場の排水口があり、常に水中にある排水口からボコボコと温水が排出されてはいましたが、浄化されているとはいえ、少し茶色っぽい色をしたそれを温泉だと勘違いして、うがいをしようなどと考える人はいません。

Kさんが天に召された今となってはその幻の温泉は永遠の謎となってしまいました。



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